あの恐ろしい震災から3ヵ月が過ぎました。
仙台市中心部は、震災前の生活を取り戻し何事もなかったかの様に街も動いています。
この3ヵ月を振り返ってみて、猫を通して人の色んな面が見えて来ました。
3月12日、いつも通りに外猫達のご飯やりをしていると、見知らぬ男性が声をかけて来ました。
『いつもここでご飯をあげている方ですよね?これ使って下さい』と私にドライフードを手渡し足早に去って行きました。
その自転車のカゴには他にも数袋のドライフードが入っていたので、他の方にもお配りして歩いているのだと思います。
あの地震の影響で、開いているお店を探す事も困難だったと思います。
みんなが大変な最中、外暮らしの猫達の事を案じて貴重なフードを下さった事に、驚きと感謝の気持ちでいっぱいになりました。
その数日後、同じ場所でご飯やりをしていると、年配の女性の方が『こんな時に猫の世話なんて』と吐き捨てる様に言いながら去って行きました。
その女性は空のペットボトルを数本持っていたので、給水に向かう途中だったのだと思います。
確かにあの時は全てが貴重で、水も無駄遣い出来ない状況でしたが、私が一人で使う水の量は決して多くはありませんでしたし、自分が我慢してでも猫達には飲ませてあげたかったんですが、その方には水の無駄遣いにしか思えなかったのでしょう。
その女性はたまたま口に出しましたが、道行く多くの方は口にしないまでも見下した様な、何か言いたげな目をして通り過ぎて行きました。
最近では、今まで何度も経験したタイプの餌やり反対派の年配男性もいました。
あれだけの震災を経験しながら、小さな命に対しての考え方はまるで変わらない事に愕然とします。
あの時、誰しもがお金や物よりとにかく命が助かって良かったと思ったはずです。
命の他に大切なものなんてないと思ったはずです。
それなのに相も変わらず、自分の事しか考えない人間が多すぎる。
不妊手術は良いが餌やりはするなとか、自分の家の周りさえ良ければよその家、よその町内はどうでもいい。
殺せとは言っていない、餌をやるなと言っているだけだ…呆れます。
今回の震災は、普段は見えないその人の本質みたいなものを露呈させたのだと思います。
普段以上に人のありがたみも感じる事が出来ました。
フードを下さった方もそうですが、ご自身も猫を数匹抱えながらあの揺れの直後、こちらの事を案じて電話を下さった里親さん、連絡を下さった里親さん、遠く離れた場所から心配して下さって、猫達や私にプレゼントを贈って下さった小西ご夫妻。
本当に有難く身に染みました。
いつか私もその方々に恩返しが出来ればと考えています。