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白血病キャリアで、発症したジュラ。
15日夜から16日早朝の間に、永眠致しました。
亡くなった時間が分からないのは、私が仕事に出かけている間の事でしたから、看取ることが出来ませんでした。
日毎痩せて衰弱して行きましたが、前日にはちゅーる一本を食べてくれて、当日はフラフラになりながらトイレに立とうとしていました。
ただ、唇の色は黄疸で黄色く、目も時折瞳孔が開いた様に虚ろでした。
間もなくかな‥と。
苦しそうなジュラに、待っててとは、とても言えず、行ってくるねって撫でながら声をかけ、後ろ髪を引かれたまま出かけました。
帰宅し、真っ先にジュラの所に。
私の目に飛び込んで来た光景に、何が起きたのか直ぐには理解が出来ず、ジュラの姿に言葉を失ってしまいました。
ごめん、と繰り返すことしか出来ませんでした。
ジュラは、大量の吐血をして、亡くなっていました。
既に、死後硬直していて、手足は突っ張ったまま、目も口も開いたまま、どんなにか苦しかったことか‥。
ジュラが一番苦しい時に、側にいてあげられませんでした。
側にいたとしても、激しい痙攣とうめき声、のたうち回るジュラに何もしてはあげられなかったと思いますが、その最期の苦しみを少しでも共有してあげたかった。
本当に申し訳ない、甘えん坊なジュラを一人で逝かせてしまいました。
ごめん、ジュラ。
なぜこんなに大量の吐血をしてしまったのか、獣医師に聞いてみました。
肺に穴が開き、水が入ったためではないかとの事でした。
亡くなる前日から、少し呼吸が浅くゆっくりになったのは、既に肺が壊れてしまい、ほとんど機能していなかったから。
聞いて更に苦しくなりました‥。
発症してからは、あっという間で、ジュラとの時間が持てなかったこともあり、本日まで一緒に居てもらいました。
今日、斎場へ。
ジュラとの出逢いは、一昨年の7月15日。
暗くて悪臭漂う倉庫の中に、もう一匹の兄弟と一緒に居た。
あまりに状態が悪くて、病院に到着する前に死んじゃうんじゃないかって思ったくらい。
その時に手渡された黄色い網がとてつもなく臭くて、病院に到着して直ぐに手を洗った記憶がある。
捕獲器やキャリー、網などは一回毎に洗って消毒しないと、パルボなどを蔓延させる事に繋がる。
世間から高い評価を受けているボランティアでも、一事が万事私は尊敬出来ない。
ジュラは、その時点で480g生後1ヶ月のチビチビ。
コクシやキャンピロ、真菌の治療をしてからは、メキメキ元気で活発な男の子に成長してくれた。
風邪一つ引かない、とっても元気な子に。
だから、ずっと忘れてた、ジュラがキャリアだってこと。
自分のウンコを転がして遊んだり、私の冬の必須アイテムもも引きを干しておくと、グイグイ引っ張ってダメージもも引きにしたり、予想外の事をして私を驚かせてくれたジュラ。
母子感染、生後1ヶ月半までの感染の場合には、一歳まで生きられる確率は、約1割と言われている中、ジュラは一歳9ヶ月まで生きてくれた。しかも元気いっぱいに。
これも嬉しい予想外だ。
この事は、ジュラに感謝したいし私の誇りです。
この子達にも感謝。
白血病キャリアの、かつお♂とタラコ♀
来月で三歳になる。
この子達も私と一緒に今まで、白血病のわかめちゃん、テンちゃん、カンちゃん、シャムニさん、そしてジュラを看取って来た。
何事もなく穏やかに過ごせます様に‥。
ジュラの事をご心配下さり、応援して下さった皆様に感謝致します。
大好きなちゅーるを食べさせてあげる事が出来ましたし、最後に医療をかけてあげる事が出来ました。
ありがとうございました。
私も看取れなかった子が多数います。
最後にゲージが荒れてた子、狭い隅っこに挟まったまま亡くなった子、苦しかった最期にいてやれず後悔ばかりでした。
おつらいと思いますが、少しずつ元気になってくださいね。
猫さんたち、天使になって絶対見守ってくれていますから、お身体大切にしてください。